育児に悩みは無用!力を抜いた子育てで育児ストレスを軽減する方法

  • 2019年3月28日
  • 2019年3月25日
  • その他

私は今、現在1歳と3歳の息子を育てていますが、毎日大変です。

妻と二人がかりで家事育児を分担し、日々奮闘していますが、それでも一日が終わるとクタクタです。

2人を子育てするというのはこうも大変なものなのかと毎日痛感しています。

よく、「二人目は一人目の育児のノウハウが使えるから楽だ」と言われますが、少なくとも我が家はそうではありませんでした。

なぜならそれは、二人とも全然違うからです。

言い換えれば兄弟二人とも性格が全く違うので、親としても上の子の接し方と同じような接し方ではうまく子育てできないからです。

具体的に言えば、3歳の兄は乳児の時から、よく寝てよく食べて言うことをよく聞く、いわゆる「育てやすい子」です。

それに対して、1歳の弟は生まれてから今まで、2時間以上1人で眠ったことがなく、食べ物の好き嫌いも多く、気に入らないことがあればすぐに泣き叫ぶいわゆる「育てにくい子」です。

このように、長男と次男では同じ遺伝子を持っているにもかかわらず性格が全く異なるので、一言で育児といっても両方とも、親として同じ関わり方で良いはずがありません。

つまり、一人目とは全く違う「育児」がスタートしたのです。

それと同時に1人目と2人目の「育児」が全く異なることを理解した瞬間、私はある意味「育児」の悩みが消えました。

それは育児はこうあるべきという固定概念から解き放たれたからです。

本記事では育児はこうあるべきという理想から生じる悩みがいかに必要のないことかについて考えていきます。

育児書は理想に過ぎないことを知るべき

私は長男の時は初めての子育てということもあり、よく育児書を読んだり、子供が何かほかの子と違うと感じたときに、正解を求め育児書を読み漁ったりしました。

でも、育児書には正解はありませんでした。

なぜなら育児書通りに育児するのはほぼ不可能だからです。育児書には例えば「子供が駄々をこねた際には、できるだけ本人の意志を尊重し、見守ってあげよう」など、育児の理想を書いています。

そして、真面目なこの記事をお読みになってくださっているあなたは、なんとかその通りにしようと四苦八苦していることと思います。

しかし、現実はなかなかその通りにはできないものです。子供自身の意志をずっと尊重しつづける対応がその都度できることは、もちろん親として素晴らしいことですが、なかなか育児は理想通りにはいかないものです。

それは自身が元気な時は良いのですが、疲れていたり、時間に追われていたりする状況もあるからです。そんな状況で「四六時中続く子供の意志」に対して寛大な対応をすることはほぼ不可能だと私は思います。

やってはいけないことですが、親自身の機嫌が悪いときや疲れているときはどうしても子供への対応はどうしてもおざなりになってしまいます。

これは決して甘えではなく親だって人間なのですから、なかなか育児書のような対応をあらゆる状況下で実践するのも難しいのは事実なのです。

育児書や育児情報は時には悪となる

前述したようになかなか教科書通りの親になることは大変です。

育児というのは「子供の意志」に翻弄され、それについて日々対応していくことも繰り返しです。

その対応に対して、理想通りの親としての振る舞いをできていない自分に自己嫌悪を抱くのもまた親なのです。

例えば私の場合は、

  • 息子がまだ公園で遊びたいと主張するのに、食事の時間の都合上、半ば強制的に公園から連れて帰り大泣きさせたこと
  • 年齢の割にどう考えても無理な大きな滑り台に息子が挑戦しようとしているのに、危険だからという理由で挑戦を止めさせたこと
  • 下の子をずっと抱っこしているときに抱っこをせがむ上の子に対して、「自分で歩けるのだから歩け」と叱ってしまったこと

挙げればきりがありません。

そして上記の対応については、これで果たしてよかったのか、今もなお考えさせられ、自己嫌悪に陥ることがあります。

これらの私の行動は子供の都合より自分の都合を優先した理想の親とは少し違う行動をしています。

この自己嫌悪をより強くしてしまうのが育児書であったり、時折耳にする育児情報であったりする訳です。

つまり、育児書の存在は結局理想論であるがゆえに「こうでありたい親としての自分」の理想が高くなるばかりで、結局「その通りに行動できなかった親としての自分」への自己嫌悪を増幅する書籍であるとさえ思います。

子供は一人ひとり違うのに、どの育児論も当てはまらないと考える

冒頭でご紹介しましたが、私には二人の息子がおり、現時点では二人とも性格が真逆と言っていいぐらい違います。

「遺伝子が同じなのにも関わらず」です。

ということは、育児論も一人ひとり違うのではないでしょうか。

例えばA君に対しては、夕食の時間があろうが、周りが暗くなろうが、とことん公園での遊びに付き合って好奇心を満たしてあげた方がよいかもしれませんし、

反対にB君に対しては、夕食の時間が来れば遊びは終わり、と決めメリハリのある生活を続けていくことがよいかもしれません。

つまり、子供に対する親の関わり方は、その子供によって決めていくしかないわけなのです。

そして更に難しいことに、その子供に対する関わり方の正解は未来永劫分からないのです。

上の例で考えるとA君とB君がこの事例をどのように自分の中で消化し、それがA君、B君の人生にどう影響を与えたかなんて、親には分かるはずもありませんし、もっと言えば本人ですら分からないことかもしれません。

このように育児には一人ひとり正解が違う上に、明確な正解はないし、さらにその正解すら何であったか分からないのです。

つまり、子供がこういう時にはこうすべきという育児論などは、あくまでもこういう対応方法もありますよという提案なだけなのです。

まとめ 子育てに悩む必要はない、自分の子を見ることが一番大切

では、どうすれば良いのかについて私は日々考えています。そして今考えている一つの方法について提案します。

私もそうですが、親になると

「立派な子に育てなければいけない」

「自分が今までやらずに後悔してきたことをこの子にはやらせてあげたい」

など、子育ての理想に若干の自分のエゴが加わり、案外自分の子供を見て接するという視点を失いがちになります。

最初から育児論や育児情報を鵜呑みにして「子育てとはこうあるべき」「子供とはこうあるべき」と決めるつけると親はもちろんのこと、それに付き合わされる子供にとってもしんどくなります。

例えば「スマホ育児はよくない」とか「手づかみ食べが脳を育てる」、「絵本の読み聞かせが心を育む」みたいないかにも正しそうな育児論がありますが、私の子供には今のところ子供本人の性格を重視して対応しています。

私の長男はスマホが大好きで、よくYOUTUBEでトーマスやアンパンマンの好きなキャラクターのおもちゃ動画などを中心に見ていますが、あまり制限はしていません。

最初は「スマホを見て目が悪くならないだろうか」「脳に悪影響じゃないだろうか」などと思っていましたが、よくよく見ていると、いつの間にか自分で好きな動画を選んで見れるようになっていました。

つまり、私の考えとしてはスマホでYOUTUBEを見ているだけとはいえ、自分の脳を使っていろいろできることを増やしている段階にあると考え、YOUTUBEを見ることは特に制限していません。

また、「手づかみ食べ」に関しては、長男はやりましたが、次男は特にやっていません。

長男は手づかみでよく食べていましたが、どうも次男は手づかみ食べをさせると食べ物で遊ぶばかりで、ほとんど食べません。そしてそのうち食べ物を投げ始めます。

これでは食事の時間がいくらあっても足りませんし、本人も手づかみでずっと遊ぶことに飽きてぐずり出します。

ということで、次男には手づかみ食べが向いていないと判断し、手づかみ食べを特にさせていません。

別にしなくてもいずれは箸で食べる訳ですし、手づかみで食事することが特別脳を育てるという明確なデータがある訳ではないからです。

また他には、長男は絵本が大好きでよく読み聞かせをしていましたが、次男は絵本を読み聞かせしようとしていてもじっとしていられずに、一冊を読み切る前にすぐに他のことをしに行くので次男にはほとんど読み聞かせをしていません。

これは次男は1歳ですが、すでに本人の中に絵本よりも読むよりもやりたい事が存在しているということを認め、本人の意志を尊重してのことです。

このように、私は肩の力を抜いて、自分の子の性格や意志をひとつでも多く汲み取った関わり方をするように努めていくようにしています。

「子供にスマホを与えてはいけない」

「もっと子供に手づかみ食べさせなきゃいけない」

「もっと子供に絵本を読み聞かせなければいけない」

という育児の理想論に縛られることなく、親も子供も自分に合った「子育て」をすることが我が家の最適解だと信じています。

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